DATE  2003/07/26
LOCATION  神奈川:横浜
No.00 プロローグ・目覚め

ある夏の日。
いつものように家から駅までママチャリ。
朝から暑く、背中にスーツが張り付く。
見上げれば眩い太陽、吸い込まれる空。

ふと思った。
このまま走ればどこまで行けるのだろうか。
駅なんか通り越して、一度も振り返らず遠くへ遠くへ。
そうだ、前から行きたかった北海道に行こう。
どうせなら最北端は宗谷岬まで。
そう、このママチャリで。
密かな思いを抱いたまま、虚しくも駅に止まった一年前。

アホな野望は日増しに膨れて行く。
ルートはどうしようか、泊まる所は、
あ、ノートパソコン持って行って更新したら面白いかも、、、
北へと暴走する心を叩き落すのは会社と言う存在。
私もそう若くは無い。アホできるのも今のうち。
実際いつ死ぬかだって分からない。
そう、、、今しかない。

、、、にしても、はたして着く事が出来るのか。
地図を見返すたび北海道のデカさをプータロは思い知る。
友人にはとりあえずウケた。
絶対に無理とも言われた。
ママチャリでと言ったら呆れられた。
しかし少しずつでも進み続ければいつかは着けるはず。
何日掛かろうとも、山があろうと、雨が降ろうと、 寝る場がなくとも、何を言われたって、前さえ向いていれば問題ない。
意味なんてあるか分からないが、
ただ汗水涙を流してひたすら目指したいだけ。
北の果てで何が映る?

ママチャリ。輝かしい実績は家から駅まで1.5Kmのみ。ド・ノーマル仕様
かつての通勤列車からの灰色の眺め。
心は北へ、、、
   


DATE  2003/07/27
LOCATION  神奈川:横浜 → 茨城:土浦
No.01 染みる好意

いつもの通勤駅とは白楽駅。
横浜に住んでいる人でも知っている人は少ない、急行通過駅だ。
一年前のスーツ姿から短パン、Tシャツ、丸坊主に変形した姿で、
今日は急行と同じく通過する。
このまま行けばどこまで行けるのか?

とりあえず多摩川までは行けたみたいだ。
こんだけ言っておいて、
東京に入れませんでしたでは、タマちゃんにも劣ってしまう。

割と順調に飛ばして行ったが、それは千葉まで。
70Kmを越えたあたりから、ギアを間違えたかと
思うくらいペダルがとたんに重くなる。
最後はおじいちゃんにも抜かれつつ、
なんとか土浦の健康ランドに
ふらふらになって到着。
その売り文句道理に健康になれば良いけど、、、

健康ランドには、なにやら無料で
太ももをマッサージできる装置があった。
良いな、って見てたら
あまりにうらめしそうだったのか、
店員のおばちゃんがやってみる?
と声をかけてくれた。
北海道にママチャリで行くと言ったら、ぶったまげていた。
入念にマッサージを受けている間、
ルートやらこの先の健康ランドのことなど
色々詳しく教えてもらい、ただ感謝。
最後におばちゃんが、
「学生にしかできないからねぇ、、」
お、坊主にしたら若返ったのかも。

なにはともあれ、こういう孤独な旅では、
人のちょっとした事が心に染みる。
一人で生きる事は可能かもしれないが、
それではつまらない。

空を突き刺す東京タワー。
まずは港区。
皇居近くの素晴らしい建築に、
もう一つの空 。
どこまでも続く雲。
もう梅雨明けか。
The田園。これぞ田園。
余計なお世話?
その田園に浮かぶカップラーメン。
無性に腹が減った瞬間。
日本のガンジス、利根川。
最長の川。


DATE  2003/07/28
LOCATION  茨城:土浦 → 茨城:水戸
No.02 高速の世界

なんでこんなところを走っているのだろう?
下は断崖絶壁で車道は狭い高架道。
有料道路への合流もあるし、
どうやら高速っぽいバイパスに入ってしまった。
一瞬の油断も許されないまま、とにかく駆け抜ける。
ドライバーにはなんでこんなところに
ママチャリがいるんだと思われたかも。

休みなしで必死にこぎ続けた代償は、
後輪からの悲鳴にも似た擬音だった。
さっきみたいなところで、空中分解されたら、
霞ヶ浦のもずくになってしまうので、
潤滑油を買うため水戸市街へ寄り道。

昨日ちょっと走りすぎたので、
まだ早いけど今日はもうここで宿泊と観光とした。
先に進みたいのは山々だが、
あせって行っても、ただ辛いだけだし、
怪我でもしたら旅が終わってしまう。

ぷらぷらしていたら安いビジネスホテルを発見。
フロントで自転車の置き場所を聞く時に、
今までの経緯を話していたら、
「自転車を盗まれたら一大事ですね、、、」
「かしこまりました」
と言って、外の駐車場ではなく
事務所のすぐ近くに置いてくれた。
す、すいません、、、
冷静沈着温厚なフロントさんでも、
ママチャリを見た時は一瞬手が止まった。

名も無き小道を行くと、
懐かしい土の香り。
綺麗な所は綺麗な街、水戸。
 
 
桜川という水戸駅前の川。
春にはきっと美しい桜が咲くことでしょう。


DATE  2003/07/29
LOCATION  茨城:水戸 → 福島:いわき
No.03 思い込み

ママチャリで言うのも変だが、
「乗れてる」瞬間がある。
ハンドルが手に吸い付き、サドルは体の一部となり、
ペダルはまるで自ら動いている羽のよう。
どこまでも疲れないで行ける感覚がたまにあるが、
今日は幸運にもそれが朝から続いて、
もう明後日には、北海道に着けてしまうかのよう。
でもいつだって幸運の後には、ろくな事が無い法則は、
6号線を北上するママチャリにも当てはまるようだ。

皮膚を切り裂くような日差しと、
煮えたぎるアスファルトからの高熱は、
湿らした帽子もすぐ乾いてしまうほどの容赦ない暑さ。
今だったら冷凍室でのアルバイトなら無給でやりたいくらい。
そんな歪んだボランティア精神に満たされていると、
ふと右の空が広くなったような気がした。
、、、海だ。
海。 海!
もう走ってられない。
右へ大きく旋回し、海岸へ着くや否や、
服を脱ぎ捨て頭から飛び込むこと数時間。
気付けば、あまりの気持ち良さに海岸で寝てしまったらしい。
それに、さっきまでの快晴はどこへやら。
雲行きが怪しい。

2つ調べておいた健康ランドの1つめに着いたが、
この「乗れている」状態を終わらせたくないと思い、
5Kmほど先の2つめの健康ランドを目指した。
もう引き返せない距離まで走った所で、
待っていたかのような豪雨。
全身ずぶ濡れになりながら健康ランドを探すが、
なぜか一向に見つからない。
地元の人に聞いたら、何とバイパスの途中にあるらしい。
トラックの水しぶきをもろに受けつつ、
何とか到着した頃には、寒気・めまいを感じるようになった。
まずい、、、

風呂に入ろうとしたが、ここで海の全身日焼けがたたり、
痛くて入ることも出来ない。
厚着をして寝るしかなかったが、
天候を読んでいなかった自分の不甲斐なさが悔しくて、
寝れなかった。

海はもう目の前!
 
日立市の海岸。人が少なく心地よい。
思わず寝てしまう、、、
終始楽しそうだった、親子。
 
健康ランドはどこ、、、
迷い込んで途方に暮れた瞬間。


DATE  2003/07/30
LOCATION  福島:いわき
No.04 睡眠治療

だるい体、関節痛、寒気。
クモ膜下出血でも椎間板ヘルニアでも無いんだ。
ただの風邪を早急に治すには、
人の多い場所では治るものも治らない。

健康ランドで教えてもらったビジネスホテルにいくため、
チャリを健康ランドに置いて送迎バスに乗り、
植田と言う駅へ。
、、、どこだ、ここは。
なんだかとんでもない所に来てしまった。
送迎バスのおっちゃんに道を教えてもらってホテルに行ったら、
1階がパチンコ屋だったけど、もうなんでも来い。
部屋に着くなり正露丸ガブ飲みして、とにかく寝た。

誰も居ない植田駅前。
 
植田駅前の繁華街。こういう落ち着いた所は結構好きだが、本当に誰も居ない、、


DATE  2003/07/31
LOCATION  福島:いわき → 福島:いわき
No.05 ささいな幸せ

目覚めは良好。体調はまずまず。
とりあえず良かった、、、
まだ始まったばかり。こんなところでは帰れない。

ママチャリ奪還のため、まずは植田駅から健康ランドへ。
が、木曜日は送迎バスが今いる植田駅ではなく、
隣の泉駅からしか出てないとのこと。
自転車旅行で電車に乗るとは思わなかった、、、
やっとこさ送迎バスに乗ったら、また昨日の送迎おっちゃん。
「また風呂入るんが〜」
説明がややこしいので、入りますと元気に言っておいた。

今日の目標は30Km先の太平洋健康センター。
その名の通り、太平洋が見渡せるお風呂が自慢の健康ランド。
最近あまり食べていなかったので、
ちょっと良い物を食べようと、着いた後食堂に行ったら、
いくら丼に釘付けになった。
値段は1500円、、、高け。
でもここは港の隣でかなり上質ないくらかもしれないし、、、
ショーウィンドウの前で悩んだ。
本気で悩んだ。悩みぬいた末、食べる事に。

騙された、、、いくらが硬てえ。
情報によればテーブルに落としたときに
いくらが弾まないで割れるのが本物らしい。
弾む弾む。
でも久々の海の幸で美味しかった。
今はご飯がお腹一杯に食べれるだけで、
幸せなのかもしれない。

植田駅内。
ラッシュ時なのに人はどこ、、、
こういう道が永遠と続く。
遭難しても誰も助けてはくれないだろう。
海辺にあったカフェ。
思い切って入ったら、かなりいい雰囲気。
無機質に置かれたテトラポット。
海辺の町を守る、凄い奴ら。
そういえば横浜の星、佐々木は
どうしているのだろうか。
今日は無理をせず、海でのんびり。
風と海と波の音。


DATE  2003/08/01
LOCATION  福島:いわき → 福島:原町
No.06 男達の叫び

6号線。
東京から宮城を一本で繋ぐタフな国道。

やっといわき市を抜けたあたりの田園地帯で
おじいちゃんがスイカに囲まれて、
じっと何かを待っている異様な光景が飛び込んできた。
私は吸い込まれるように一切れ買ってしまった。
でも、これがめちゃ美味い。
種は川辺に飛ばす。
少年時代が流れてきた。
さて行こうとしたら、「まあ頑張ってな」
とだけ言ってまた何かを待っていた。

長くきつい坂が見えた時には、私は疲れ切っていて、
その手前で休憩していた。
するとチャリにテントなどを積んで、
いかにも自分と同じ部類の若い男が来た。
その勢いや迫力から、この坂を一気に登ると見た。
私は「頑張れよー!」と叫んだが、
見る見るうちに登って地平線に消えたその姿に
ちゃんと届いたかは分からなかった。

一車線道路で工事が行われていた。
警備のおっちゃんが片側一車線になった、
長い工事区間を誘導している。
無線で反対側に居る同僚達とやりとりをしているようだ。
先頭で対向車が出きるまで待っていたら、
おっちゃんにどこまで行くか話しかけられた。
話しているうちに対向車は全て出きって、
いざ自分が工事区間を走った時、私は目と耳を疑った。
点在している誘導のおっちゃん達一人一人から、
「頑張れよ!」「気付けてな!」
と野太い声援が。
無線で皆に伝えてくれたのだろうか。
工事区間を抜けたとき、自然とペダルに力が入った。

午前はときどき小雨。
トンネルで雨宿り。
スイカおじいちゃん。色々言っていたが、ちょっと何言っているか分からなかった。
 
原町駅前。 今日もまったく知らない街で
夜は更けていく。


DATE  2003/08/02
LOCATION  福島:原町 → 宮城:仙台
No.07 あと何Km?

6号を走り始めた頃からある、「仙台まであと〜Km」の看板。
あの残酷な数字を見ると、途方に暮れるので、
あまり見ないようにしていたが、
今日のスタート時には、「仙台まであと75Km」
手が届く距離になり、なんだか嬉しかった。
毎日ちょっとずつでも頑張れば、
いつかは目標に辿り着けるのかな。
では、北海道までは、あと何Km?
それは絶対考えないようにしよう、、、

せんだいメディアテーク。
建築好きの私は仙台に着いたら、まず見たい物がこれだった。
もう素晴らしいです、、、
恐らく怪しい人物と思われながらも、かまわず撮る。
良い写真を撮りたかったら、ある程度恥を捨てなければいけない。
駐車場に行こうとしたら、警備員に怒られてしまった。
まあ迷惑をかけない程度に、、、

うわ、人や車が一杯。へとへとになって
辿り着いた、久々の都会。
自転車に優しい街、仙台。至る所に自転車道や地下駐輪場などがある。
せんだいメディアテーク。
伊東豊雄の代表作。
柱はパイプトラス構造で内部にある。
全部で13本。
柱の内部にエレベータがある。 また配線など設備関連もここから通している。
施設は図書館、展示会場やスタジオなどが入っている。老若男女みんな集まる。
非常階段も、もちろん柱の中にある。
光が下まで反射して明るい。
夕日をゆっくり見る事を、
いつから忘れてしまったのだろう。


DATE  2003/08/03
LOCATION  宮城:仙台
No.08 嗚呼松島

せっかく仙台に来たのだから、
俳句に表現できない程、松島に行ってみたい。
で、行ってみたら人人また人。
数日前に仙台で起こった、
大地震がなかったらもっと凄いとのこと。

とりあえず遊覧船を探そうと思っていたら、
そんな必要は全くなかった。
ダフ屋のようにそこらじゅう、
「遊覧船あるよー」との呼びかけがこだまする。
気付けば、海千山千のおっちゃん達に釣られて
券を握り締めていたので、早速船に乗り込み
見晴らしの良い2階席に行こうとしたら、
「2階は追加600円ね」 うそでしょ、、、

はじめて見た松島はやっぱり絶景。もう素晴らしい。
情緒もあるし、見る角度によって島の位置が変わり、
刻々と変化する風景は我々を飽きさせない。
でもそれをぶちこわすのが船のガイド放送。
ボリューム大きいし、無駄にノリノリ。
演歌まで流して、最後の挨拶は、
「今日は慣れない船旅、誠に御苦労様でした。
 いたらない案内で申し訳ありませんでした」
ええー
そんな事言わなくても、、、

日本の観光地はこういうのが多いのかも。
明らかに押し付けが多く、ちょっと引いてしまう。
その土地が持つ素晴らしさは、黙ってても光るはず。

遊覧船がやってきた。
さあ乗ろう。
松島と併走する他社遊覧船。
ちなみに5社くらいあって激戦していた。
自由気ままに放浪するカモメ達。
どこへ行く?
と思ったら、船を凄い勢いで追ってきた。
全てはえびせんのために。
松島とカモメ。
昔は島がもっとあったらしいです。
仙台といえば、出ました政宗像。
意外とでかく、かっこ良かった。


DATE  2003/08/04
LOCATION  宮城:仙台 → 宮城:築館町
No.09 在る街

仙台は良い街だった。
商店街もアーケードが張りめぐらされ歩きやすいし、
自転車専用道や地下駐輪場も豊富。
歴史と現在が上手く分けられ、山や川が生かされた街作り。
さすがは政宗の街。
思わず2泊してしまった。
七夕祭りが近いそうで、ユースホステルの人に
もうすこし居れば良いのにと言われたが、
目標を忘れてはいけない。
先を急ごう。

にしても容赦なく暑い。
汗が止まらないから喉が渇く。
飲んだらまた汗が出るの悪循環。
こんな時、休憩しようと店に入っては絶対にいけない。
汗とクーラーと冷たい飲みもので体温が奪われ、
再び走り出すと強烈なだるさを感じてしまい
ほとんど走れなくなるのは、すでに実証済み、、、
日陰で水飲んで休むのが一番。
どうも文明から遠ざかっているような。

駅から4Kmほど離れた場所が
駅前商店街という変わった街、築館で今日は宿泊。
この旅をしなければ、まず来る事は無かった街。
街好きの私としては、毎日色々な街を見れるのが
密かな楽しみだが、
どの街も帰るべき家はない。

仙台は七夕祭り一色。
祭りがある街はうらやましい。
仙台スタジアム。
ベガルタ仙台の本拠地。
今日からずーっと4号線。
よろしくお願いします。
4号沿いにあった倉庫。
西洋風でかっこいい。


DATE  2003/08/05
LOCATION  宮城:築館町 → 岩手:北上
No.10 坂の代償

いよいよ死のロード岩手県へ。
さすがにアップダウンの頻度が、いままでの比ではない。
一瞬平坦かと思いきや微妙な上り坂でしたと言う罠もあり、
精神的にも参る。

重い荷物を載せて、長くきつい坂を登っていると、
もう、本当に辛くて辛くて泣きそうになる。
でも、なんとか頑張って登り切ったときの達成感と、
坂を降りる時の最高の疾走感を味わうと、
もうちょっと進んでも良いかな、、、なんて思ったら、
また意識を遮断する急坂。
この繰り返しで、いつの間にか結構な距離を進んでしまうから、
自転車は不思議な乗り物。

そんなママチャリに乗り続けて早10日。
太ももは膨れ上がり、10人がぶら下がっているくらいの重さ。
階段を登る時はもはや、おじいちゃんの勢い。
今日泊まった健康ランドには漢方の湯があって、
入ると体の悪いところが痛くなると言われている。
んでは、自分は太ももかなとか思って入ると、、、
めちゃくちゃ股が痛くなってきた!
もう耐え切れなくなって洗い流しても
一向に痛さは消えないので、うずくまって寝た。
なにやってんだろ。

いよいよ岩手へ。
電柱より高い建物はあまりない。
岩手の空はとっても広い。
 
岩手に入ってから川の透明度が
上がった。非常に綺麗。
久しぶりに見たこのポスト。
なんだか和む。


DATE  2003/08/06
LOCATION  岩手:北上 → 岩手:盛岡
No.11 イーハトーブの転落

岩手県と言えば宮沢賢治。
賢治博物館や賢治童話村、賢治イーハトーブ館などが、
シノギを削っている一帯が、ここ花巻市だ。
全部回ってみようと決めたのは、
実は彼よりも建築を見たいが為だった。
それが賢治の怒りを買い、祟りが始る。

まずは賢治博物館。
作品の元になった直筆のメモや、
賢治の生い立ち映画が上映されるなど、
まさに賢治まみれ。あたりまえか。
次に賢治童話村に行ったら、銀河鉄道が実際に走り、
あの山猫にも会えるという。素晴らしい。
でも、さすがに子供と一緒に銀河鉄道は乗れなかった。

最後に賢治イーハトーブ館が見えたとき、
建築物やそこに導く階段が素晴らしく、
夢中で写真を撮る。
もう少し寄せて撮りたいと思い、
足を一歩踏み出したとき、イーハトーブは空へ舞った。




、、、約15段の石階段の下へ転げ着いたときに、
まずデジカメとノートPCが無事か心配した自分にびっくりだが、
左膝の擦り傷くらいで済んだ事にもびっくり。
でも周りが一番びっくりしたらしく、
ファミリーからバンソコウを貰った。
恥ずかしい、、、

盛岡の健康ランドに着き、
もう太ももがはちきれそうなので、マッサージをしてもらった。
さっきの左膝の筋が少し痛くなってきたが、
全身が軽くなり、かなり走れそう。
明日には岩手脱出だと企んでいたが、
岩手はそう甘くなかった。

岩手は田園の規模が違う。
凄まじい広さ。
賢治童話村。
足元には銀河がいっぱい。
イーハトーブ館。打ちっぱなしと水が、
よく合っている。 このあと悲劇が、、、
イーハトーブ館内。光が多く取り込まれ、
非常に明るい。奥にはカフェも。
 
イギリス海岸。水が少ないときに現れる凝灰石がドーバー海峡に似ているからそう賢治が名づけた。だそうです。


DATE  2003/08/07
LOCATION  岩手:盛岡 
No.12 奔走そして

異変は朝に気付いた。
左膝が思うように曲がらない。他人の足みたいだ。
曲げるときに内側から押されるような、
なにか水が入っているような、、、
ネットで調べたら、関節炎っぽかった。
なになに、、「放っておくと一生正座が出来ないでしょう」
でしょうじゃ、ないって。
病院に行こうにも、これってどこに行けば良いんだ。
そもそも健康保険証ないじゃん。
朝9時に健康ランドをほっぽり出されて、
小雨が降る中、足と自転車を引きずり途方に暮れた、、、

この時初めて旅の中止が頭を過ぎる。
どうする、どうしたいか、どうすべきか、、、

この旅をきっかけに色々な人から応援の声を貰った。
旅行中にも今まででは考えられない程、
毎日様々な人に話しかけられ、その度に頑張れと叫んでくれた。
その声達が今、、こだまする、、、

こんな所では終われない。
まずは病院だ。
何をすべきか決めるためにも、病状を把握する必要がある。
ちょうど歩いていた、おばあちゃんを捕まえて聞いてみると、
このへんでは岩手医大が一番大きいらしい。
なんとか行ってみると、なんじゃこりゃ、、、
もう長蛇の列。受付もてんやわんや。
受付の一人を捕まえて覇気迫る勢いで説明すると、
保険証はなくてもOKで、
お金も自己負担っで払って後で還元できると言う。
診療カードを作ってもらって、また40分くらい待っていると、
やっと医者と御対面。怪我した状況やチャリの事を伝えると、
「うーん、レントゲン撮ろうか」
うわ、治療費が、、、保険証は大事だね。

撮ったレントゲンを見る医者。
どきどきしながら待つ私。
「骨には異常ないね。膝の内側の筋を痛めたんだな。
 腫れているのは水じゃないから、
 冷やせばそのうち消えるよ」
安堵感で全身の力が抜けた。
「3週間は安静で、旅は中止と言いたいところだけど、、、
 まあゆっくり進むか、襟裳岬を宗谷岬だと思って
 早めに辞めるかだな、あっはっは」
あっはっはじゃ、ないって。
「早く治したかったら、触らない動かさない事だな」
昨日マッサージを受けたことを伝えると、
「そりゃだめだ」
あのマッサージ師め!

勘違いな怒りはさておき、
目を疑う治療費を泣く泣く払った後、
昨日の健康ランドに戻って、とにかく安静。
前へ進むために今は一歩も進まない。

 


DATE  2003/08/08
LOCATION  岩手:盛岡
No.13 住人の一日

同じ健康ランド3日目。
やばい、ここの住人になっている、、、

朝6時起床。
水風呂で左足だけを冷やす。至極、寒い。

清掃のため9時閉店。
全員強制排出。
近くのガストで朝飯を食らう。

10時開店。
もはやパチンコのノリで健康ランドへ突入。
足を冷やし、病院で貰った湿布を貼って仮眠室へ。
当然誰も居ない。
住人が住人と思う瞬間でもある。

夕方起床。
煩悩を抜かれたように、足を冷やす。
再び仮眠室へ。
全然眠くないが早く治すため、とにかく動かない。
精神的には辛い。

深夜起床。
こっそりコンセント借りて、ノートPCで旅行記更新作業。
だが、健康ランド体験レポートしか書けない、、、

住人から仙人になる日も近い。

 
無駄にちょっとかっこいい、
我が健康ランド。


DATE  2003/08/09
LOCATION  岩手:盛岡 
No.14 仙人の一日

悟った。
ここには自分のほかにも、住人が2人いる。

一人はロン毛のおじさん。
朝スーツ姿で見かけて、
10時開店後には私より早く入館していて、
大浴場を独占しているではないか。
あのスーツの意味は一体、、、

もう一人は角刈りの兄さん。
いつも寝ているが、とにかく歯軋りがうるさい。
エアコンが壊れたような音を発する。

摩訶不思議、健康ランドワールド。
明日も潜入取材だ。
もういや、、、

 


DATE  2003/08/10
LOCATION  岩手:盛岡 → 岩手:二戸
No.15 峠越え

膝はかなり回復した。
まだ完全には曲げれないが、
ここにこれ以上いるのは良くないので、
ゆっくり進むべく朝5時に出発した。

ペダルが重い、、、
完全になまっている。
左足をかばうあまり変な走り方にもなり、
さらに追い討ちをかける、
4号最高峰の十三本木峠。
岩手、強すぎる。

無心で登って行く中、
抜き去っていくライダーがたまに
手で何かサインみたいな事を送ってくる。
うーん、「頑張れ」か「端に寄れ」か。
手を振って返しているが、
端に寄れだったら、とんだ勘違い野郎と思われているかも。

などと考えているうちに、
やっとこさ十三本木峠の最高地点へ。
、、、何とも言えぬこの達成感。
上を見上げたら、
時間が止まっているかのようの青。
汗を拭い去る風。
蝉の遠い音。

何年ぶりだろう。
トンボが鞄に止まった瞬間。
小人になった気分。
何の植物かは不明。
やっと着いた頂上。
4号で最高地点。
地獄の坂のあとは、
約10Kmの下り坂ご褒美
このあたりは全て〜戸表示。 今が二戸で次は三戸だけど右行ったら九戸?
今夜は月が綺麗。
輝きが都会とは違う。


DATE  2003/08/11
LOCATION  岩手:二戸 → 青森:八戸
No.16 不健康ランド

岩手からの脱出。
それはここ数日間の切なる願いであったが、
今日、ようやく叶えることが出来た。
結局、6日間もいたのか。
なんか色々あったなあ、、、

感慨に浸っていると、青森県の洗礼が。
歩道が全然無い。
あってもデコボコ道でしかも
アップダウンの勾配が急すぎる。
トラックも多いし、今までで一番疲れた区間。

へとへとになって健康ランドに到着したが、
入ってすぐに異変に気付いた。
なんか、、、臭う。
気のせいかな、、、と思いつつ
ロッカーへ行くとさらに臭うぞ。
それは仮眠室も同じだった。 つまり、、、
人の靴の中に鼻を入れて寝なくてはいけなくなったってこと。

こういう環境に長時間いると人間はどうなるか?
まず頭が痛くなり、
喉に何か詰まったような違和感を感じ始め、
さらに気持ち悪くなって腹まで壊します。
次第に息を吸うのも嫌になり、
最後は口呼吸になります。
早く出たい、、、

いわて銀河鉄道。いつもとんでもない所から現れ、すごい所へ消えていく列車。
広大な田んぼを突っ切る道。
近道だと思ったら行き止まりだった、、、
 
静かな森の中へ。
岩手なので熊とかありえるかも、、、


DATE  2003/08/12
LOCATION  青森:八戸
No.17 高鳴る期待

いよいよフェリーとは目と鼻の先。
焦る気持ちを抑えて、まずは予約の電話。
しかし、最近の台風の影響で欠便が出たらしく、
今混雑していて、すぐには乗れないとの事。
明日の17:30の便なら乗れるらしい。
この体調を整えたいし、洗濯物もたまっているので、
今日は調整日にしよう。

なにはともあれ、ここの不健康ランドから脱出。
外に出たとき空気がおいしいのなんの。
ビジネスホテル着いて、
またも正露丸カブ飲みして、ひたすら安静。
明日の期待を込めながら、、、

JR八戸駅。
ついに新幹線の終点まで着けた。
八戸駅前。奥の明かりはこの辺では一番栄えている、本八戸駅。
 
供給過多なタクシーで、
外は妙に明るい。


DATE  2003/08/13
LOCATION  青森:八戸 → 青森:八戸フェリーターミナル
No.18 本州よさらば

夕日を背に北海道への船が動き出す。
待ちわびた日がついに目の前に、、、

他の人もデッキに出て海を眺めていたが、
飽きたのか、次々と船内に入っていく中、
私は夕日が沈むまで、本州が見えなくなるまで、
いつまでも眺めていた。
ここまでの経緯や風景、人を思い出したら
飽きることもなかった。

、、、いつの間にか暗闇の海。
体が冷えてきたので船内に。
部屋は2等寝室なので大部屋にみんなで雑魚寝。
帰ったら3分の2くらいの人がもう寝てる。
みんな疲れているのね、、、
という私も横になったら、
いつ寝たか分からないくらい、
深い深い睡眠へ、、、

苫小牧まで行くフェリー。
遊覧船と違ってデカイ。
乗船を待つライダー達。チャリは私だけ。
しかもママチャリで肩身が狭い。
夕日の八戸港。
本州ともお別れ。
夕日を背に北へ、、、

船内は結構綺麗。
ほとんどの設備が揃っている。
デッキでの空は船の移動もあって、
刻一刻と変化してゆく。


DATE  2003/08/14
LOCATION  青森:八戸フェリーターミナル → 北海道:岩見沢
No.19 夢の大地

夢に飛び込む声は到着を知らせるアナウンス。
目を覚ますとみんな出る準備完了。
やばい、寝すぎた。
自転車はフェリーの地下に置いてあるので、
早めに行かなくてはならなかったのである。
急いで地下へ行ってみると
もうバイクは次々と出ているではありませんか。
バイクに混じって颯爽とママチャリで外へ、、、


、、、ついに北海道。 ママチャリで北海道。
降り立ったその夢の大地は、深夜1時半だった。
しかもめちゃ寒い!
とても走ってられない。
しかし、そんな事もあろうかと、
昨日、本八戸駅前で対北海道戦に備えて
長袖長ズボンを買っておいたので
装備を整え朝を待ち、いざ出発。

すごい、、、先が見えない直線道路が続く続く。
道幅も広い、信号無い、平坦の三拍子揃っている為、
どんどん進んでしまう。
だが昨日しっかり寝ていないので、
70Km超えたところで今日は終了。

目的地はまだまだ遠いが、
きたる日はそう遠くはない。

深夜の苫小牧港。
港は眠らない。
苫小牧港にて。
港特有の赤の色は不思議な魅力。
終わらない直線道路。
先が見えず目がかすむ。
あたり一面の麦畑。
北海道に来たことを実感。


DATE  2003/08/15
LOCATION  北海道:岩見沢 → 北海道:深川
No.20 心の日

「どこまで行くんだい?」
その優しい声は12号の喧騒を割って、
道端で休んできた私の耳に飛び込んできた。
「宗谷岬です」
昨日からいつもの北海道ではなく宗谷岬と答えている。
「じゃあ家で休んでいきな」
へ?
うろたえる私にお構いなしに、
「今、ベテランライダーの親戚が来ているから
 色々教えてもらうと良いよ。来なさい。」
何かに引き寄せられるようにその人の家へ、、、

入ってびっくり、8人大家族。
「まあゆっくりしていきなさいよ」
と、お母さんの掛け声を合図に、
梨やらコーヒーやら色々頂いてしまった。
孤独な旅を続けていた私にとって、
本当に涙が出る思い。
あっという間に1時間が過ぎ、
出発する私に、これ持って行きなと果物まで。
優しく大らかな家族よ、どうか元気で。ありがとう。

走りだすと、今日は沢山の人と出会えそうな気がした。
この期を逃すまいと、
ちょっと遠回りになってしまうが、
この辺では唯一のユースホステルへ宿舎を変更した。
行ってみると良い感じのロッジ。
そのまま夕食タイムへ。

久々の多人数での食卓。
皆で旅の経緯を話し合うのは、時間を忘れる。
電車とバスで旅行している人が多かったが、
一人、チャリダーの水本さんと意気投合。
尽きることの無いチャリ話をして行く内に、
夜は更けていった、、、

公園になぜかSL。
重厚感があってカッコイイ。
日本一長い直線道路。
それは29.2Kmも続く、、、
道端の普通の畑。 でも、私には天国のような不思議な感覚に陥った。
畑の横の道。なんだか懐かしいような、、
空白の風景。
まだまだひたすら続く、まーっすぐ道路。
無性に曲がりたくなってきた。
今日の宿泊先のユースホステル。
旅人が集う場所 。


DATE  2003/08/16
LOCATION  北海道:深川 → 北海道:留萌
No.21 美しい闇

北海道の朝は寒い。
稚内はもっと寒いらしい。
以前行った経験がある水本さんと、今日は一緒に出発した。
うーむ、流石にママチャリと違って貫禄の走り。
感心しているうちに、別ルートとなる深川駅に着いた。
アドレスを教えてもらい、
これからの旅の無事を祈って、お互い叫ぶ。
「どうか元気で!」

海へ抜けるべく進路は西へ。
内陸の最後の町を抜けた時、腹が減ったが、
どこかあるだろうと思い、そのまま走った。
が、本当に何も無い。
空腹の中、今日の宿舎がある街まで走るしかなかった。
こういう状態が長く続くと人間、動けなくなるらしい。
もしあんな所で動けなくなったら、、、
気を付けなければ。

今日泊まる所は「夕日の街」 留萌。
確かに日本海に面していて岬もある。
日の入り時間を聞いて、行ってみると、
美しい、、、
だが、私はこの旅で夕日を恐れるようになっていた。

走っていて一番恐いのはトラックでもトンネルでもなく、
宿舎が決まってない時の夕日。
チャリですれ違う学生や、公園で遊ぶ子供達、
疲れているようなサラリーマンも、
皆、帰るべき家があり、家族の元へ歩きだす。
明日の学校、仕事もある。
それを見てしまうと、
私は一体何をしているのかと考えてしまう。
こんなことをしていて良いのかと。
泊まる場所と、あてのない答えを探し求め、
必死で奔走するが太陽は待ってくれるはずもなく、
さらに闇は深くなってゆく。
夕日が恐い。

NHKドラマ「すずらん」の舞台が。 でも見てなかったので良く分からない、、、
一面に広がるひまわり畑。
これぞ北海道。
本当に何もない。
動けなくなったら最後。
夕日の街、留萌。
海もあってよい街。
来るとこまで来た、ママチャリと私の影。あともう少しだ、、、
岬にあった建築物の螺旋階段。
 
展望台にて。
日本海を一望できる。
沈み行く夕日。
車達も足を止め思わず見とれる。


DATE  2003/08/17
LOCATION  北海道:留萌 → 北海道:羽幌町
No.22 風のアルバム

昨日が「夕日の街、留萌」なら
今日は「風の街、羽幌」だろうか。
もう風が強いのなんの。
風力発電所があるくらいだ。
しかも向かい風なので全ての道が坂のように感じてしまう。
海沿いは平坦と思ったのに、風の坂があったとは、、、

今日はユースホステルで宿泊。
ここはかなりアットホームな所で、
オーナー夫婦や住み込みの人ら、皆で食事を取る。
そのオーナーがかなり面白く、私のことを
黒すぎとか正気の沙汰じゃないとか、突込みも厳しい。
そのオーナーも昔チャリダーだったらしく、
親身になって色々教えてもらった。

今回人が少ないので、部屋は私一人。
夕食の後ゆっくりしていると、一階の談話室で
みんな集まって話しているから来ないかと、
下宿の子に誘われた。
私は一人っ子のせいか、多人数で話すのは本当は苦手。
疲れているし、一瞬だが断ろうかとも思ってしまった。
しかし、恐らく二度と会えない人達だろう。
会えるうちに、会えた事を、会えた人達と、
この一夜限りの二度とない場を噛み締められないようならば、
旅なんか辞めてしまえ。


、、、終わってみれば楽しい集まり。
オーナー夫婦、下宿の子、
大阪の新婚夫婦、新潟のおばあちゃんとその娘、とまあ
世代を超えた人達と語り合えたのは何よりの思い出。
最後に、ここの行事となっている記念撮影して、
あの笑顔は風の街に建つユースのアルバムへ。

途中の海沿いにあった、展望台からの眺め。広い、、、
看板に、ついに稚内という文字が。
着いても無いのに感動。
何も無い所にバス停。
乗る人いるのかな。
丘の上に風車が。
めちゃくちゃ回っていた。
その丘の上。
奥にもまだ30台くらいあった。
日が暮れても、寒くとも、風がある限り、風車は回り続ける。


DATE  2003/08/18
LOCATION  北海道:羽幌町 → 北海道:天塩町
No.23 Good Luck

「嫌な事を教えてあげよう」
朝っぱらからオーナーが満面の笑みを浮かべて言ってきた。
この人は、、、
「羽幌の手前できついアップダウンがあったでしょう。
 あれがここから20回続くよ。」
ええー
もう行く気が失せたので、
昨日見たかったここの歴代アルバムを見てみた。
みんな女装してたり尻だしてたり、
アホだけど最高の笑顔に満ちている。
と、その中に見た顔が。
あ! 3日前に泊まった深川ユースの、電車で旅してる人だ。
一年前にここ来たんだ。 だけど全然変わってねー
はは、何だか楽しくなってきた。

20回続くアップダウンの2回目でもう嫌になってきた。
坂が急だし風強いし前に進まない。
しかし、その萎える気持ちを留まらせてくれるのは、
カッコイイライダー達。
日本海に出てから沢山のライダー達が
頑張れと親指を立ててサインを送ってくれる。
バックミラーに写っている間は
せめて休まないで走ろうと思っていると
不思議と力も湧いてくる。
またチャリダーともすれ違うことが多く
お互い照れ笑いで頑張れとお辞儀だけする挨拶。
誰か分からない人達に励まされ、
今日もひたすら前へ前へ前へ、、、

これが羽幌名物、アップダウン。
見た目以上にキツイのです、、、
ついに稚内まで100Kmを切った。
 
もう何個見ただろうか、この雪国特有の、、、 なんて言うんだろ。
北海道の本物の牛が。
沢山の牛が放牧されていた。
天塩町にて。 こんな北の果てでも人は力強く生きている。
港への道。
街頭を久々に見た気がする。
夕日を撮っていたら、カモメが止まった。
俺を撮ってくれと言わんばかりに。
この辺りを流れる天塩川。
とても大きな川。


DATE  2003/08/19
LOCATION  北海道:天塩町 → 北海道:稚内
No.24 言葉

最北の街、稚内。
ここに至るまでは楽しくも辛い道のりであった。
時に風邪を引き、時に足を怪我し、
実は満身創痍ながらも
振り返れば多く積みあがった走行距離。
全ては明日の宗谷の為にあった。

が、目的地が近づくにつれ、
何とも言えない感情に包まれている。
行きたいような、行きたくないような、、、
それを振り切るかのように、
オロロラインという、広大な原野に引かれた道を
稚内まで駆け上がって来た。
この燻った感情の正体は分からないが、
ここまで来て行かないなんてあり得ない事だ。

今一度、そして明日も、
これまで何度も口ずさみ、
折れそうな意思を、消えそうな目的を救い出し、
自分を勇気付け、共に歩んできた言葉を胸に。

「北へ」

ぽつんと建つ建築物。
なんだか不思議な光景だった。
原野を突き進む、通称オロロライン。
一度、走ってみたかった道。
オロロラインにあるシェルター。
冬の厳しさが伝わってくる。
地形に合わせてゆるやかなアップダウンが続く。
稚内への最後の峠。
でも鹿に注意だ。
稚内市内にある北防波堤ドーム。
427Mも続く。


DATE  2003/08/20
LOCATION  北海道:稚内 → 北海道:宗谷岬
No.25 そして生きた

青すぎる海、白すぎる雲、広すぎる空の下、
この道にはまるで相応しくないママチャリが、
目指す宗谷岬は意外と遠く30km。
しかし、ここまで約1200km走ってきた者にとっては、
そんな距離は目に入らない。

決して順風満帆では無かったが、
最後は祝福してくれるかのように追い風。
待つ物、目指す者の距離が加速的に縮まってゆくにつれ、
心臓は高鳴り、射す光は鋭さを増す。

宗谷岬へは丘を越えて行くルートを選んだ。
傾斜がきつく辛い道だと思うが、
その時ばかりはどんな山でも登れるような気がした。
ひたすら登って登って、体が汗で覆われた時、
丘の上の別世界に辿り着く。
誰もいない。何も無い。ただ道だけ。
それに従い、汗も枯れ果てた体で下り始めると、
山が割れた。海が見えた。そして、、、
岬が見えた。

嬉しさと達成感で世界が白く思えた。
気付けばもう目の前。
が、自転車を降りたその瞬間、
燻っていたあの、なんとも言えぬ感情に襲われる。
行きたいような、行きたくないような、、、

横浜から自転車で宗谷岬に着くことは、
私の長年の夢だった。
この夢を叶えるために、色々と努力し、
失う職があり、また失う人もいた。
それでもやりたい事、一つさえ叶えられないままでは
死んでも死に切れない。
たった一度でも良い。
胸張って生きたと言える瞬間を手にする為に、
ひたすら宗谷岬を目指して来た。
だが、その夢が叶う喜びと、ずっと想い続けることが
ここ何年かの人生の原動力だった夢が叶って
消えてしまうことの、贅沢な寂しさが交錯する。
これが感情の正体か。

気持ちの整理がつかぬまま岬に立つと、
そこに深川で出会った水本さんがいた。
「おめでとう」と拍手をして。

彼と偶然再開したのは昨日のユースホステルで。
今日の出発前、「宗谷岬で会えると良いね」と言って、
彼は先に出発したが本当に会えるとは、なんて幸運。
しばらく話をして、彼がオホーツク側へ走って行くのを
見えなくなるまで私は見送った。

だが、その幸運には違和感があった。
彼は先に出発し、私は遠回りの丘コースを行き、
さらに走力も私とでは全然違うはずである。
そう、、、いつ来るか分からない私を祝福するためだけに
待っていてくれたのだ。

再び岬を見たときに、この旅の記憶が一気に蘇った。
もう景色なんて映らない。
私の目に鮮明に映ったものは、
ここまで導いてくれた、厳しくも美しい無数の道達、
前に進む事で常に違った楽しみをくれた風景達、
何度も頑張れとサインをくれたライダー達、
何回も応援をしてくれた名前も知らない人達、
そして旅をしなければ決して出会うことの無かった、
優しくも大らかな、旅人達との思い出だ。

そう、、、これが見たかったんだ、、、
ただ単に着いた、だけではなく、
これが映って良かった、、、

全身の力が抜け、そこに座り込んだら、
当分の間、動くことや考えることさえ出来なかった。
でも、とにかく晴れていたためか、
なんだか幸せだった。



The Other Side - north - End ...........






-------------> To be continued

さあ、奥にぼんやりと見える、
宗谷岬に向けて出発だ。
岬への丘。
本当に最後の坂。
野生の馬か?と思ったら近くに牧場があった。ひたすら風に耐えていた。
山が割れ海が見えた。
あとは下るだけだ。
見えた、、、
頭が白くなった瞬間。
何とも言えぬ、、、
ただ私にはとてもとても眩しく思えた、、
宗谷の海はびっくりするほど透明度が高い。魚が見える。
一度もパンクが無かった、我がママチャリにも心から感謝です。